花椛雪日記・旅立ちまでの8ヶ月
・ブログから転用
2月22日(旧正月)古くなって調子の悪くなった炊飯器を買い換えることにしていたのですが、延び延びになっていました。天気も良いし、家内の体調も良いようなので炊飯器を買いに大曲へ出かけました。
5.5合炊きの炊飯器とCDラジカセを買って、昼食に・・・家内が「どこか眺めの良いところでお弁当を食べようよ・・・と、いつも言っていたのに今日はどうするの?」
晴天、遠くの山並みがきれいなのでスーパーでお弁当を買い、奥羽山脈がきれいに見えるところまで角館方向に車を進め、真木渓谷に向かう途中で 山並みを眺めながらお弁当を開きました。
昨日から家内は実家にお泊りです。
2月20日、お医者様から一通りの説明を受け、このまま生活することになりました。次回は2週間後、3月5日になります。夜、家内が眠れないので睡眠薬を処方してもらいました。
夜、睡眠薬を服用した家内はすぐに眠りに付いたのですが20分ほどで目覚めてからは眠れなかったようです。気になって私も起きていたのです。家内は「風呂に入って温まったら眠れるかも・・・」と、風呂に点火したのは真夜中1時を回っていました。
睡眠薬を服用して風呂は・・・一抹の不安を感じ、起きていようと思いながら睡魔には勝てず眠り込んでしまいました。6時すこし前に目覚めたら、家内はストーブの前で眠り込んでいました。お風呂には入っていない様子なのでお風呂を確認してみると安全装置が作動してガスは自動で遮断され、お風呂の火は消え安全装置のありがたさを実感させられました。
睡眠薬を服用してのお風呂を止めることを家内に約束してもらいました。
家内の食が細くなり急激に痩せ始めたのは今年の正月すぎでした。
一月半ば、38.7度まで熱が上がり 「寝てれば良くなるから」と2日間、横に・・・この頃から食は極端に細くなりました。
2月2日、家内の状態を診てもらいに近くの病院へ
総合病院を紹介するから、すぐに検査してもらってください、とのことでした。
2月3日、紹介状を持って大曲の病院で精密検査
レントゲン撮影のとき私だけ呼ばれました。お医者様から 「今のうちになんでも好きなことをやってください。治療できない状態です、このことを奥様に話しますか?」 お医者様から直接、家内に話してもらうことにしました。
2月6日、レントゲン撮影の結果を聞きに大曲の病院へ
家内と一緒にお医者様のお話を・・・肝臓の70〜80%に腫瘍があり治療は難しい、肝臓が腫瘍で肥大して胃を圧迫しているので食が細くなっています。肝臓の腫瘍ができた原因を調べたいので、もうすこし検査させてください、とのことでした。
2月7日、CTスキャン検査
肝臓の腫瘍の原因は大腸癌でした。 お医者様は大腸の異状による腸閉塞を心配されていました。
余命3ヶ月を告げられました。
2月9日、大腸検査、サンプル採取 内視鏡による検査で大腸の癌は腸閉塞を起こすほど悪化はしていないので便がスムーズに流れるような薬を飲んでおけば腸閉塞の心配はないとのことでした。
2月20日、大腸癌の病理検査の結果とこれからのことについて大曲の病院へ行く予定です。
2月7日、お医者様から「今までたくさんの患者さんを診てきて経験的に言えることは奥様の余命3ヶ月です。」
家内の命がそれほど長くないことは感じていました。家内との時間を大切にしたくて60歳を過ぎてすぐに年金生活・・・家内と二人、おままごとみたいな二人の時間を過ごしてきました。
家内の実家の近くに住み、親孝行の真似事をすませ、雪が融け春になったら、もう一度住み慣れた山形へ帰るつもりでした。余命があと二年、せめて一年あったらと思ってみても仕方ないことです。
残された時間、家内が自由に動き回れる残された時間を気にしながらの今日この頃です。
2月11日、次男坊が彼女と一緒にきて一泊したとき、はしゃぎすぎた家内は大曲の駅に見送りに行った帰り道、ぐったりでした。
2月16日、長男坊と一緒に家内の実家にお泊りです。はしゃぎすぎて疲れなければ良いのですが・・・
2月24日、長女が帰国予定、家内とゆっくり話ができたら・・・娘を見送るまで、家内が自由に動き回れるようにと願っています。