花椛雪日記2009
・ブログから引用。
今年一年 ありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
長期間の留守から帰宅して、枯れてしまった花も多くて・・・アメリカンブルーも枯れたと思っていました。家内は「この花は丈夫なのよ〜〜」 ・・・2日もすると葉っぱが生き生きとして復活、正月前に開花してくれました。
再び、秋田へ行くことになるかも・・・未定なのですが、とりあえず写真の整理とHPの整備中です。悩みはHPの掲示板です。最近、業務用書き込みが多くなって、長期間チェックしてないと業務用書き込みがズラリと並んで・・・どうしたものかと、思案中です。
ぷららカードが無くなるとか・・・私専用のクレジットカードはこの一枚だけ・・・管理が煩雑になるので他のクレジットカードはハサミを入れて ぷららカード一枚にまとめ、インターネットでの支払い、ガソリンの給油、車の整備、デジカメの購入・・・重宝して使っていたのですが仕方のないことです。
無いと困ることになるので、とり急ぎクレジットカードを一枚作ることになりました。
秋田で見かけた鳥避け? 駐車したときは気づかなかったのですが、車に乗り込むとき駐車場の上の電線が・・・なんだか、変?? 距離が遠くて良く見えないのでデジカメでズームアップして見ると透明のワッカがズラリと並んでいました。そのままシャッターを押したのが、この写真です。
近くの人に聞いたら 「気がつかなかった〜〜たぶん、鳥避けでしょうね〜〜この辺りはカラスが多いから〜〜東北電力にでも聞いてみたら・・・」
12.2、払田柵跡(ほったのさく)を散策していました。ここは平安時代に律令国家が東北北部を支配するために造営した、軍事 と行政の機能を備えた城柵の跡です‥‥と説明されたほうが分かりやすいのですが、当時の文献にはその名が記されていません。
いつ、誰がつくり、何と呼ばれていたのか、ここで何が行われていたのか‥‥定かでない柵跡です。面積は東京ドーム8個分にもおよぶ広大な遺跡です。材木塀の科学分析から、創建は平安時代の初期、801年頃と判明しましたが、「謎の古代城柵」と呼ばれています。
巨大な古墳のように平野の真ん中にポコリとある小高い丘の上は広場の正面に正殿、東西に脇殿が立ち並ぶ政庁跡です・・と説明文にあります。
この政庁跡から眺めると近世の平城のように見えます。違うのは大掛かりな堀も城壁もありません。戦う目的の城としての機能は無いに等しい・・・遠い昔、戦のない穏やかな行政の中心地の姿を垣間見たような気がします。ここは私のお気に入りの場所になりました。天気が良ければ、鳥海山も見えるとか‥‥。
秋田の義父が受けられる全てのサポートの手続が終えて思うことは・・・人工肛門の手術を受けた85歳の老人が受けられるサポートに必要な手続を分かりやすく教えてくれるところがあったら良かったのに・・・
義父が入院して10日目くらいに看護婦さんから 「これ、読みましたか?そろそろ退院に向けてパウチの貼り方を御家族にも覚えてもらいますので・・・」それは義父の人工肛門に貼り付けるパウチの説明書でした。
説明書を読み進めるうちに、パウチは市役所に申請すれば無償になることが書いてあります。申請するためには身体障害者手帳が必要とも・・・・このとき初めてサポートを受けられることを知りました。慌てて身体障害者手帳の申請することになりました。
市役所では診断書と申請書さえ整ってさえいれば即、受理してくれます。認定に一月ほどかかるとの説明があっただけでした。このとき身体障害者手帳が発行されると医療費が無料になることなんて知るよしもありません。漠然と医療費が10万円を越えるから税金の医療費控除を検討しなければ・・・などと的外れの準備を始めていました。
身体障害者手帳が発行されて、ストーマ申請すればOKと思い込んでいました。これでは不十分だと気づくにはもうすこし時間が必要でした。そうです、介護を受ける スタート点として必要な介護保険資格者証の申請書を市役所に提出したのはずっと後になってからでした。
秋田が一段落して山形へ帰ってきました。しばらくPCを作動させていなかったのでWindowsアップデート、ウィルスチェックと矢継ぎ早にパソコンからの要求でPCの整備に時間がかかりました。
写真は秋田、霜降る朝の白鳥だったのですが、なかなか飛び立ってくれなくて・・・霜が融けて・・・飛び立ってくれたのはカメラを構えてから1時間半後でした。寒くて身体が震えて18倍ズームのファインダーの中の白鳥が上下左右に揺れます。立てひざの体勢にして膝でデジカメを安定させることはできたのですが身体の震えは止まりません。距離約40メートル、風に向って正面を横切るように飛び立つはず・・・これ以上のシャッターチャンスはめったにないので震えながら、ひたすら待ち続けました。
木の葉を落とした木々は冬の準備万端で、「法体の滝」は雪を待っているようです。陽光が川底に波紋を写して流れは澄み切っています。地元のカメラ好きさんのお話では、雪融けのころ増水して一の滝(一番上の滝)からは水が吹き上がるそうです。
写真上段は花立からの撮影です。天気は良いのですがスッキリしませんので鳥海山に近づきながらアングルを探して法体の滝まで移動することにしました。地図をよく見ると鳥海山の標高1500m以上は山形県になっています。なぜ、山頂が県境でないのでしょう??・・・由利高原鉄道矢島駅の裏手にある郷土資料館でお話を聞くことができました。境界線は徳川時代に定められたそうで、霊峰鳥海山の修験者の争いが原因だったようです。
写真下段は矢島の郷土資料館で「鳥海山史」を読んでいて時間が遅くなり、表に出ると鳥海山が夕日に輝いていました。郷土資料館駐車場からの撮影です。
秋田では、鳥海山は秋田富士と呼ばれています。空気の澄み切った日、白鳥の撮影に出かけた早朝の撮影です。
山形の鶴岡、酒田から眺めると稜線が横に流れて富士山のようには見えません。鳥海山は秋田富士なのですね〜〜。