鹿屋航空基地史料館
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 鹿屋航空基地史料館に着いたときは土砂降りの雨、駐車場近くの鹿屋市観光物産総合センターでお願いして傘を借り、びしょびしょの頭だったのでしょうね「良かったら、どうぞ」と差し出された手ぬぐいはありがたかったです。雨が小降りになるのを待って史料館へ・・・
 零戦撮影、順路のままに進むと特攻の展示室へ・・・検閲を避けるために基地の外の人に頼んで実家へ手紙を送り届けた特攻隊員の遺書の話は心にしみました。(2016/06/16)

零式艦上戦闘機 2016/06/16
 館内は撮影禁止でしたが幸いにも零戦だけは撮影可の表示で、じっくり撮影することになりました。いまにも飛び立ちそうなくらい丁寧に復元された零戦に日本刀の切っ先のような鋭さを感じながらの撮影でした。


零式艦上戦闘機 2016/06/16


零式艦上戦闘機 2016/06/16
 受付でインターネットに零戦の写真アップの了解をもらい、展示されている零戦の話をお聞きしたら、受付の美人さんの案内で墜落の原因となった右主翼の銃弾痕を教えてもらうことになりました。美人さんは零戦の補助翼を動かしながら「操縦桿と連動していますでしょう、予算があればこの零戦は飛べるのですけど・・・」


二式大型飛行艇 2016/06/16


二式大型飛行艇 2016/07/02


二式大型飛行艇 2016/06/16


US-1A(おおとり)救難飛行艇 2016/07/02


US-1A(おおとり)救難飛行艇 2016/07/02
 晴天の日、鹿屋に出かけたついでに屋外展示されている飛行機の撮影に鹿屋航空基地史料館に寄り道しました。国産、新明和工業製造の US-1A(おおとり)救難飛行艇は見てみたい飛行機の一つでした。近くで見ると、想像以上の大きさで圧倒されながらの撮影でした。
 鹿屋航空基地史料館屋外展示の飛行機を眺めながらの散策は強い日差しに500mlのペットボトルが空になるには、さほど時間はかかりませんでした。撮影を終えて食べた鹿屋市観光物産総合センター食堂のカレーの美味しかったこと・・・ (2016/07/02)


P-2J(対潜哨戒機) 2016/07/02


P-2J(対潜哨戒機) 2016/07/02


2017/07/02


2017/07/02


2017/07/02


2017/07/02


2017/07/02


2017/07/02


2017/07/02 


二式大型飛行艇説明看板


US-1A(おおとり)救難飛行艇説明看板


P-2J(対潜哨戒機)説明看板

説明看板から引用
二式大型飛行艇  この二式大艇は、世界中で唯一残されている実機です。
 二式大艇は、昭和15年(1940)初飛行、当時世界一高性能を誇った大型飛行艇です。昭和17年(1942)正式採用され、偵察・哨戒・輸送など長大な航続距離を活かした任務で活躍し、終戦までに合計167機が製造されました。
 昭和20年(1945)3月11日、鹿屋基地から約3000㎞南のウルシー泊地奪還のための米軍艦艇への特攻作戦で、「梓特別攻撃隊」として爆撃機「銀河」24機が鹿屋基地から初の特攻出撃をしました。この作戦の誘導、天候偵察に二式大艇3機が鹿児島の鴨池基地から出撃しました。
 戦後、昭和20年9月、米軍から「詫間基地に残されている二式大艇1機を横須賀に空輸し、米海軍に引き渡せ」という命令が発せられました。米海軍はその二式大艇を本国に空母で移送し、各種調査を行い、その高性能に驚嘆したそうです。
 その後、昭和54年(1979)に日本に里帰りをして東京の「船の科学館」で保存展示されていましたが、平成16年(2004)海上自衛隊に寄贈され、現在鹿屋基地で展示公開されています。
 この機の垂直尾翼には、「菊水」マーク及び中央に「T-31」(T:TAKUMAの頭文字)が表示されています。この機は、第5航空艦隊(司令部:鹿屋)れい下部隊の詫間海軍航空隊所属(香川県三豊市詫間町)の31号機であります。

US-1A(おおとり)救難飛行艇
 戦時中に二式大型飛行艇を開発した川西航空機の後進、新明和工業が1960年代に開発した世界唯一の大型対潜飛行艇PS-1をベースに、外洋でも救難活動が可能な水陸両用機として開発された飛行艇である。PS-1と基本的な機体形状は変わらないが、対潜作戦用の機材は取り外され、機内には海難救助のための投下用救難キット、救命いかだ、船外エンジン付ゴムボートなどを搭載し、機外には陸上の空港に離着陸できるように、水陸両用の主脚を設けた。救難ヘリコプターが対応できない洋上はるか遠方の船舶の救急患者、小笠原諸島の父時等の救急患者等の空輸などを実施する。
短距離での離着陸が可能であり、離島での運用も考慮されている。性能向上型のUS-2救難飛行艇への更新が図られている。

P-2J(対潜哨戒機)
P2V-7の後継機の研究が1961年(昭和36年)頃から海上自衛隊と川崎重工との間でなされた結果、P2V-7の改造型として、我が国独自のP2-Jが誕生した。量産1号機が1969(昭和44年)に納入され、以後1983年(昭和58年)の最終号機まで、合計83機生産された。P2V-7を改造したP-2J試作機1号機が、1966年(昭和41年)7月に初飛行して以来、1994年
(平成6年)の退役まで28年間、大きな事故等無く1機も失われなかった航空機である。この4783号機は生産最終機であり、鹿屋航空基地に所属していた第7航空隊で除籍となったものを史料館に展示している。
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