新橋覗橋楢下宿上山市 |
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「すみませ〜〜ん、あの〜〜 めがね橋をお庭から撮らせていただけませんでしょうか・・」 お庭で仕事中のジッチャマが「あ〜〜 どうぞ、どうぞ」と、こころよくOKしていただいて、ありがとうございました。 |
アーチの向こう側に見える茅葺屋根は楢下宿脇本陣「庄内屋」です |
新橋説明看板から引用 新橋 上山市指定文化財(昭和51年7月21日指定) 新橋は通称新町めがね橋と呼ばれ、新町から下町に通ずる間を流れる金山川に架けられた、アーチ式の石橋である。昔は木橋であり洪水のためしばしば流失したので、その都度の修理・架け替えは大変な苦労であった。 明治初期に三島通庸が県令になると西洋の土木技術が導入され、石の橋が架けられるようになった。この橋がそれであり、県から三百円を下附金として補助され、残り七百円余は地元が立替えて架けている。この金を通行する人・人力車・荷車等から橋銭として特に徴収したと言う珍しい橋でもある。明治13年8月に竣功し、橋長14.7メートル全幅4.4メートル、アーチの高さ約4.4メートル、川床部の径約12メートル。 石材は大門石と呼ばれる凝灰岩を用いている。 上山市教育委員会 覗(のぞき)橋説明看板から引用 覗(のぞき)橋 上山市指定文化財(昭和51年7月21日指定) 覗橋は上流の新橋が架橋された翌々年の、明治15年に石の橋に架け替えられた。・・・ 今に文化財として残されているこの石橋は西洋の土木技術を取り入れたもので、橋脚がないため村民達は不安だと仲々渡らなかったと言う話が伝えられている。橋長10.8メートル、全幅3.5メートル、アーチの高さ約3.83メートル、川床部の径約8.44メートルのアーチ式の石橋で、新橋同様大門石と言われる凝灰岩で築造されている。 上山市教育委員会 楢下宿脇本陣「庄内屋」(旧粟野家)説明看板から引用 楢下宿脇本陣「庄内屋」(旧粟野家)上山市指定文化財(平成2年8月14日指定) 楢下宿は羽州街道の宿駅で、上(うわ)町、横町、下(した)町新町とそれぞれ鉤形に曲折して連続する特異な町並みを形成している。 「庄内屋」は下町にある脇本陣で、準本陣級の格式を持ち、庄内藩主の常宿とされ、庄内候の煙草盆や拝領品が今に遺されているが、そのほかの藩侯の関札も残されているので、広く利用されていたとみられる。 現在、本棟から曲折して道路側に張り出した曲り部がもとの玄関で、式台形式であったと思われる。ここから奥の方に「げんかんのま」、「なかま」二室、「じょうだん」と一列に並び、この棟に対して直角方向に広い「かつて」と「にわ」からなる本屋棟が続き、本屋の裏側には土蔵と接続する斜行した廊下状の繋ぎがあり、ここには「しもいろり」が設けられている。 「庄内屋」は楢下に残された家屋の中では最も古い時期のもので、十八世紀中期頃に建てられたものと推測されている。 上山市教育委員会 |
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