山寺立石寺
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晩秋の山寺で撮影練習のつもりできて見たら錦秋に近い風景が広がっていました。雨模様の1015段の階段を登って開山堂の辺りは小雨・・・雨が止んで明るくなるのを待って本格的撮影になりました。

紅葉の山寺、立石寺山門 2006.11.16


紅葉の山寺、立石寺抜苦門 2006.11.16


紅葉の山寺、立石寺五大堂から 2006.11.16


紅葉の山寺、立石寺納経堂 2006.11.16


紅葉の山寺、仁王門 2007.11.13


夏の山寺立石寺 2008.9.10


名勝史跡霊場山寺立石寺案内図


山寺駅ターンテーブル 2006.10.28
今は使われていない機関車を方向転換させるターンテーブル??
リベット接合の年代物の装置で蒸気機関車の煙の匂いがしてきそうな・・・向こうに見えるは山寺駅のホームです。


雪の山寺立石寺 2006.1.23
「閑さや ・・・」のイメージで黎明から準備を始めたのですがー7℃は寒すぎました。 岩にしみいる・・・セミの声はしませんが しみる~~凍みる、手がかじかんでシャッターが上手く押せません。


縦屋民家 2006.1.21
山寺芭蕉記念館から山寺の撮影、記念館の向かいに屋根は今風ですが古い型の民家・・・


山寺立石寺と根本中堂説明看板


山寺立石寺開山堂と五大堂説明看板


山寺立石寺せみ塚説明看板


山寺駅の駅名由来説明看板


旧伊藤家住宅 山村の「縦屋」民家説明看板

山寺立石寺と根本中堂説明看板 から引用
 山寺は、正しくは宝珠山立石寺といい、貞観二年(860)清和天皇の勅願によって、慈覚大師が開いた、天台宗のお山である。
 慈覚大師は、辺境の東北各地に、多くの寺院を建立したが、立石寺の創建には特に力を入れ、明るく正しい人間を養成する道場を確立し、鎌倉時代には、東北仏教界の中枢をなして、山上山下三百余の寺坊に一千余名の修行者が居住、盛況を極めた。戦国時代、山内が兵火をあびて一時衰退したが、江戸時代には、御朱印二千八百石を賜って再び隆盛を見、宗教文化の殿堂を築き上げた。・・・
 正面の大きな建物は国指定重要文化財の根本中堂である。延文元年(1356)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・五間四面の建物で、ブナ材の建築物では日本最古といわれ、天台宗仏教道場の形式がよく保存されている。
 堂内には慈覚大師作と伝える本尊の木造薬師如来坐像をはじめ、文殊菩薩、毘沙門天などが安置され、伝教大師が中国から比叡山に移した灯を立石寺に分けたものが、今日も不滅の法灯として輝いている。織田信長の焼討で延暦寺を再建したときには逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を堂内で配することができる。


山寺立石寺開山堂と五大堂説明看板 から引用
 立石寺を開いた慈覚大師のお堂で、大師の木造の尊像が安置されており、山内の僧侶が朝夕、食飯と香を供えてお勤めをしている。江戸時代末期の再建である。
 向かって左、岩の上の赤い小さな堂は、写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物である。県指定文化財で、昭和62年に解体修理がおこなわれた。その真下に、慈覚大師が眠る入定窟がある。
 頭上の建物は五大堂といい、五大明王を祀って天下泰平を祈る道場で、山寺随一の展望台でもある。


山寺立石寺せみ塚説明看板 から引用
 松尾芭蕉のおくのほそ道の紀行文に、
 山形領に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとつて返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る。岩に巌を重ね山とし、松柏年旧り、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず。岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂幕として心澄みゆくのみおぼゆ。
 閑かさや岩にしみ入る蝉の声
芭蕉翁の句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石の塚をたてたもので、せみ塚といわれている。


山寺駅の駅名由来説明看板 から引用
松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という名句を残した山寺は、正式には宝珠山阿所川院立石寺(りっしゃくじ)といいます。
立石寺は、貞観2年(860)、天台宗第三の円仁(慈覚大師)が、清和天皇の勅命を受けて建立しました。円仁は、天台宗開祖・最澄の高弟で、のちに天台座主ともなった人物です。
峻険な岩山全体を境内として、深閑とした雰囲気を漂わせる寺院の造りは、山岳仏教である天台宗の堂塔配置の特徴をよく表しています。・・・


旧伊藤家住宅・・山村の縦屋民家説明看板 から引用
山形県東田川郡朝日村田麦俣は、いわゆる多層民家の存在するところとして知られているが、そのほとんどは「横屋(よこや)」であり、そして古いものでも江戸末期を遡らない。・・・

当伊藤家は、砂川における古式の「縦屋」民家の例で、同家が新築するに際してこれを譲り受け、解体、移築し、当初のものに近い形で復元したものである。・・・
上棟年月日は寛保元年(1741)3月26日・・・
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