三重塔慈恩寺寒河江市 |
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たぶん10年以上前、さくらんぼの季節に訪れた慈恩寺は遠い記憶です。本堂は記憶どおりだったのですが三重塔は記憶とずいぶん違って・・・記憶の修正をしながらの散策になりました。 |
慈恩寺縁起説明看板01 から引用 慈恩寺縁起 そもそも当山は神亀元年(734)僧行基が諸国巡錫の砌この地の景勝なるを見て都に帰り、聖武帝に奏上、天平18年(746)勅命によって婆羅門僧正が開基し、弥勒菩薩を本尊として、寒河江山慈恩律寺と号したと伝える。 平安時代寒河江荘が摂関家藤原氏の荘園として成立したのは延久元年(1069)以前とされるから慈恩寺は藤原氏の庇護をうけ荘寺的性格の寺院であったと判断される。 天仁元年(1108)鳥羽帝の宣勅によって奥州藤原基衡が当寺を修営し、再興諸堂造営を行った。京文化を伝える平安後期の仏像が十四体を数えるのは当時の慈恩寺を物語るものである。 その後文治元年(1185)後白河院の院宣右大将頼朝の下文を帯して高野山から真言僧弘俊阿○梨が来山し山号を瑞宝山と改めた。鎌倉以降領主大江氏の庇護をうけ、室町の末大江氏が滅亡すると最上氏がこれに代り、元和八年(1622)最上氏改易後は幕府より2812石余の御朱印を付せられ、勅願寺として又鎮護国家の祈祷者として崇敬された。明治維新後御朱印が停止され、一山は衰亡した。・・・・ 慈恩寺宝蔵院表門説明看板 から引用 県指定有形文化財 宝蔵院表門 平成2年12月21日指定 四脚袖付き門で屋根は切妻造り、建築年代の記録はないが室町様式である。 この門には宝蔵院で修行した多くの弟子やこの寺に関係のある僧の護摩札が打ち付けられていた。 昭和26年6月、屋根改修の際発見された二百余枚の札の中、最古の札は、慶長18年(1613)のものがあるところから建築年代を想定することができる。 慈恩寺山中最古の建造物である。 |
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