長井市、あやめ公園 |
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一株鉢植えにしても充分に見ごたえのあるアヤメがそこらじゅうに咲き誇る長井のあやめ公園です |
あやめ公園説明看板から引用 沿革 明治42年(西暦1909年)頃からだい頭してきた国鉄長井線の敷設運動熱が高まり、その運動費捻出のために野川畔にあった町有林を伐採したことに端を発している。 あやめ公園は、伐採されたその跡地に造られたもので総宮神社に隣接している当地川原守をしていた風流人遠藤安兵衛氏(昭和14年没)工藤太兵衛氏(大正6年没)金田勝見氏(大正11年没)の三氏が伐採された跡がただ荒れはててゆく原野の姿を見るにしのびなく明治43年7月(西暦1910年)あやめ数十株を集めて育て、茶店を開いたのが今日の「あやめ」公園に発展する端緒であったと伝えられている。 その後、大正3年〜昭和5年(西暦1914年〜1930年)にかけて公園の拡張を行い、各方面から優良種の「あやめ」をもとめ現在株数3万株、面積4ヘクタール、その種類においても数百種におよんでしる。昭和5年8月山形新聞の名勝投票で県一位の賞牌を獲得した。また、第二次世界大戦では荒涼の地と化したが、戦後再現を図り現在にいたり「長井のあやめ」として県内外の人々に親しまれている。 蒲生直英詩碑説明看板から引用 緑の里 山は連なり 川は流れる 緑の里に 花は咲き 町には幸せが 優しく佇んでいる 郷土の詩人蒲生直英の詩集「四季流転」の巻頭の詩である。彼は大正9年に長井市川原沢に生まれ、教職にあって昭和28年に第一詩集「連鎖の山」を刊行し、以来平成6年の「わが住む町」まで、故郷の美しい自然と素朴な生活をこよなく愛し気負いなく自然態で詠んだ五冊の詩集を世に出している。・・・・ |
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