霞城公園山形市 |
花椛雪 トップへ戻る |
PC用拡大画像 |
最上義光公銅像は山形城二の丸東大手門をくぐってすぐの正面、石垣復元工事中の山形城本丸一文字門の近くに山形市郷土館、旧済生館本館が静かにあります。2006.4.26 |
山形駅西口から線路伝いに霞城公園へ・・・山形城二の丸東大手門の7部咲きの桜花が朝日に輝いて・・・デジカメの望遠イッパイでの撮影になりました。雲の流れが速く、一枚撮るのがやっとでした。(記2007) 紅葉の霞城公園 2006.10.31 天気予報は晴れだったのですが朝からの霧が晴れず昼近く、霞城公園へ・・・公園内の駐車場に着いた頃、霧が晴れ青空が広がって、ちょうど見ごろの紅葉が輝き始めたところでした。 霞城公園の旧済生館の桜木は逆光に紅葉を輝かせて春の桜花に負けない見事さでした。大手門から山形美術館、最上義光歴史館の前庭は紅葉を意識した造りのようで紅葉に彩られた空間が広がって・・・花、椛、雪を歌った花笠音頭の椛の風景がピッタリの散策になりました。 天気のよさに誘われて文翔館まで足を伸ばしてみました。建物だけでなく空間も保存されて、ゆったりとした空間の中の文翔館です。 雪の霞城公園 2008.2.10 新雪が降り積もった朝の霧城公園はモノトーンの世界です。山形城二の丸北門は、お堀の水面が凍って波も無く、風も音もない風景が広がっていました。 山形城二の丸北門から東大手門、南門、西門へ新雪を踏みしめながらの散策になりました。 山形城主最上義光顕彰詞 から引用 ・・・義光は逆境の中に生まれ、山形の再興と隆盛を期して外敵の侵犯を排除し、最上村山地方を平定しその統一を実現した。 殊に慶長5年(1600)の秋、関が原合戦の折、徳川方に属した山形に会津上杉氏の武将米沢城主直江山城守は、大軍をもって来襲し、すでに落城の危機に直面したが、義光みずから陣頭に立って勇戦敢闘し、山形城を死守した。その功により庄内三郎、秋田由利郡を与えられ、いわゆる「出羽百万石」の一大領国を築きあげ、東北第一の大名となった。・・ 重要文化財 旧済生館本館説明看板 から引用 明治初年の洋風建築として名高いこの建造物は明治11年(1878)に竣工した当時の公立病院済生館の本館であります。 文明開化の推進者として著名な三島通康(鹿児島県人)が山形県の初代県令として赴任するや、県庁、郡役所、学校をはじめ公共物等の洋風による新築工事を急速に進めました。この建物も係官を上京させて、東京、横浜等の各病院を視察させ、それに当時の学者や権威者の指導助言をうけ、・・・・ 現在、この建物は山形市郷土館として活用され、医学、医療関係の資料を中心に、郷土資料が陳列され一般に公開されております。 |
PC用拡大画像 |
花椛雪 トップへ戻る |
予備画像 |
PC用拡大画像 |
花椛雪 トップへ戻る |